たこ焼きと明石焼き。そのルーツは?
2019.01.02
みなさんこんにちは^^!
お好み焼きとたこ焼きは、
ルーツを探れば古代の「煎餅〈せんびん〉」や茶の湯の席などで供された「麩焼き」、
そして「もんじゃ焼き」や「一銭洋食」という同じ流れを辿っています。
では、現在のたこ焼きは、いつ頃、
どのような経緯でお好み焼きとは違った道を辿ったのでしょうか。
明石焼きは、卵と出汁、浮粉〈うきこ〉や沈粉〈じんこ〉と呼ばれる、
小麦粉でんぷんの粉と小麦粉を混ぜたものの中に、
タコを入れて丸く焼いたものです。
みなさんの思い浮かべるたこ焼きを、
ひとまわり大きくしたもので、ふわふわの食感です。
ソースなどをかけるのではなく、
添えて出される出汁汁に浸けて食べます。
卵とタコの風味が、出汁汁によく合い絶品です。
明石焼きが食されるようになったのは、
江戸時代とも、明治時代とも言われますが、
現在まで続く独自の立ち位置を占める粉ものといえるでしょう。
そして、中に入っているタコが、
たこ焼きの成立に大きな影響を与えるのです。
もうひとつ、ラヂオ焼きをご存知でしょうか。
聞きなれない面白い名前ですが、
簡単に言うとたこ焼きのタコに代わりに、
牛スジ肉やコンニャクを煮たものを入れたものです。
発祥ははっきりしませんが、
明治や大正期から食べられていたともされます。
昭和10年。
ラヂオ焼きを食べたお客さんがこんなことをつぶやきます。
「大阪では肉かいな。明石では、タコを入れとるで」。
先ほど説明したタコの入った明石焼きのことですね。
「なるほど」。
遠藤さんは、具にタコを使い、「たこ焼き」と命名して売り出したのです。
これが、たこ焼きの誕生物語とされます。
たこ焼きはまたたく間に人気を博し、全国へと広がっていき、
大阪の食文化を代表する食べ物となりました。