たこ焼きの歴史の始まりは、明石焼き?

2018.01.20

みなさんこんにちは^^!

今ではそばにあって当たり前のたこ焼きの歴史。
まずはたこ焼きのルーツでもある明石の玉子焼から、
お話したいと思います。

明石の玉子焼(のちの明石焼き)は、
明治時代に生まれたそうです。
少々関係ない話かもしれませんが、
玉子焼ができる前、「かんざし」などにつける飾り玉で、
「明石玉」と言うのが江戸時代に発明され、
それをつくるのに「玉子の白身」を利用していました。
「明石玉」を作るには米の粉を団子にして、
赤く色をつけた牛のつめをはって作っていたとの事です。
それで、玉子の白身を接着剤にしていたんですね。

白身だけ使ったら黄身が当然あまってしまいます。
もったいないから、黄身を焼いて食べていて、
これが「明石焼き」誕生のきっかけと言われています。

明治中ごろセルロイド(今で言うプラスチック)が輸入されるようになり、
「明石玉」がセルロイドにとってかわり職を失った「明石玉」の職人が、
てっとり早い商売つまり屋台で食べ物屋をはじめました。

そこで「明石玉」の型をつかって丸い食べ物を作ります。
それが「明石の玉子焼」の元なんです。
明石では蛸がたくさん獲れていたので、
具に入れたところこれがとても美味しかったんですね。

その頃大阪ではラジオ焼きやチョボ焼きと言うものがありました。
ラ ジオ焼きやチョボ焼きと言うのは「蛸なしのたこやき」です。
まだソースも使わなかったし、具もえんどう豆とかこんにゃくとか肉とかでしたが、
たまたま明石から来たお客さんの情報をもとに蛸を入れたらこれがとても美味しく、
当時まだソースではなく醤油で味付けでした。
これがたこ焼きの誕生、歴史です。

次にたこ焼きを食べる時、
思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

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