気になる!大阪で人気のたこ焼きの開発者とは?
2016.11.14
みなさんこんにちは^^!
今ではすっかり大阪名物として
人気のたこ焼きですが、
たこ焼きを開発者はどなたかご存知でしょうか?
今回はたこ焼きのルーツをご紹介したいと思います。
たこ焼きは、ルーツを探れば古代の「煎餅〈せんびん〉」や、
茶の湯の席などで供された「麩焼き」、
そして「もんじゃ焼き」や
「一銭洋食」という同じ流れを辿っています。
たこ焼きの前身として二つほど
ご紹介しなければならないものがあります。
まず一つが「明石焼き」です。
文字通り、兵庫県明石市を中心にした郷土料理です。
卵と出汁、小麦粉でんぷんの粉と小麦粉を混ぜたものの中に、
タコを入れて丸く焼いたものです。
たこ焼きをひとまわり大きくしたもので、ふわふわの食感です。
添えて出される出汁汁に浸けて食べます。
明石焼きが食されるようになったのは、
江戸時代とも、明治時代とも言われています。
中に入っているタコが、
たこ焼きの成立に大きな影響を与えるのです。
そして、ご紹介すべき二つ目が、「ラヂオ焼き」です。
聞きなれない面白い名前ですが、
簡単に言うとたこ焼きのタコに代わりに、
牛スジ肉やコンニャクを煮たものを入れたものです。
発祥ははっきりしませんが、明治や大正期から食べられていたともされます。
また、昭和8年に大阪の今里というところで、
福島県会津出身の遠藤留吉さんが、
明治・大正時代からあったコンニャクを入れたラヂオ焼きに、
牛スジ肉入れて販売を始めたという説もあります。
(会津出身なので、屋号は「会津屋」さんです)
そして、昭和10年。
ラヂオ焼きを食べたお客さんがこんなことをつぶやきます。
「大阪では肉かいな。明石では、タコを入れとるで」。
先ほど説明したタコの入った明石焼きのことですね。
遠藤さんは具にタコを使い、「たこ焼き」と命名して売り出したのです。
これが、たこ焼きの誕生物語とされます。
粉もの文化のルーツは一緒でも、
辿ってきた歴史はそれぞれ独自なものです。
身近なものでありながら、歴史を知ると奥深い…
歴史を知っていれば、
次に食べる時には味わいが増すかも知れませんね。